2011年12月8日木曜日

教えるのは難しい←当たり前

人を育てる方法。
いろいろやり方もあるだろうし、どれがベストなんか決められないものだろうが、同じ事を100回繰り返して言聞かせ続けるのが面倒くさいと感じている人が、技は盗むものだ、と唱えている気がしてならないんです。

成る程盗んだ技はしっかりと身につきますし、理解も深い。
ただし成長は個人の資質や感性に大きく左右されるので、ロスも多い。
ロスとは、時間であったりお金であったり、人材そのものであったり様々です。
言い換えれば、掛けた時間(お金)の割に成果が乏しい→オーライな守備範囲が狭い人間が出来上がる、
不適格(だと思い込む)者が落後しやすいという事です。

くどい程言い聞かせることで教えると、形だけなぞって理解が伴わないとか、すぐ忘れるとか問題もありますが、安定した成果が出やすく、コストパフォーマンスは非常に高い
(ここに更に、失敗が少ない→成果が出る→褒める→モチベーションが上がる→(頭に戻る)というスパイラルが加わるともっと良いと思います)。
ただこれは指導法としては難しい。よく「言ったはずですが」「言った通りにして」と言う人がいるが、言う事ではなく伝え理解させる事が指導だという事を、言う側が理解出来ていない。
また、言う事に自信が伴わなければ、言葉は聴く相手に深く伝わりません。

個人の資質が全て、例えば芸術やスポーツ、一部の伝統工芸では”盗め”もアリでしょうが、これが仕事で、サラリーマンが集う会社という世界で、全体利益、総力戦という視点で考えると、100回でも1万回でも噛んで含めて教え続ける、個人の成長よりも成果優先の方が正しい気がします。

さて、言われた事しかしませんロボットを大量生産する恐れもあるのでは、という気もしますが、大丈夫、我々は人間です。好奇心や野心、成長欲が阻害されなければ、与えられた手段を武器に、必ず自分を大きくするよう、人は動きます。
「言った通り」で束縛された人・「言った通り」を守って成長している人。
この差は一体どこにあるのか。指導スキル、チームワークの本質がそこに隠れているような気がします。


人は人ではなく、私の鏡と思ってみる

0 件のコメント:

コメントを投稿