2011年7月29日金曜日

巨星、落つ

ある夏の暑い日、ウォータークーラーに口を近づけたサラリーマンが、
目の前の壁に違和感を感じた。
ヒビが入っている。
よくある光景かもしれない。何の変哲もない事かもしれないのだが、
彼は目を留めてしまったのだ。

やがて彼は水を飲み終わると、何事もなかったように自分の仕事に戻り、
いつも通りの日常に埋没する。
そして次第に、どうする事も出来ない大きな潮流に飲み込まれていく。
日本が沈没するという、大きな波に。

小松左京の小説には、小さな”躓き(つまずき)”がひとつふたつ、描かれている。
このヒビのエピソードも、そうだ。
例えばヒビを見た主人公が地殻の異常を予知し、沈下の対策を立てるとか、避難を始めるとか、そういう引き金にはならない。
あるいは物語の終わりに登場人物達が、あのヒビは災害の予兆だった、と振り返る事もない。
なんの事はない風にさらりと、しかし脈絡もなく描かれ、それっきりなのだ。

理知的な本読みは、なに、今の?と違和感を憶え、しばらく経って
それが物語の虫の知らせだった事に気がつく。凶兆の演出だったのだ。
それに気づいた時、雰囲気はいやが上にも盛り上がる。
あるいは夢想的な本読みは、その意外性にわくわくし、物語への期待感をよりいっそう高める。
そうやって、僕らは小松左京の世界にダイブする。


多くの人は、復活の日や日本沈没を挙げるが、僕は日本アパッチ族が一番好きだ。
大阪のある地区を舞台にした、くず鉄泥棒達の話だ。
とことん貧しく、虐げられて、食うものがないのでくず鉄をかじっていたら身体が鉄になっていく。
こういう荒唐無稽を全力で描き、理論武装をし、涙を誘うピソードを加え、まさかのラストを紡ぐ。
そしてあとがき風の後日談がまた、面白い。

物心がついて、多くの文化人の方の訃報を目にして来たが、小松左京程”巨星落つ”という言葉の似合う人を僕は知らない。
先に亡くなった星新一と、のんびりSF談義でも楽しんでいるのだろうか。
それとも、あの世発のSFマガジンの創刊を進めているかも知れない。
手向ける言葉が見つからない。

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