2011年5月14日土曜日

ちょっといい話「さようなら、森先生」

少林寺拳法ヨーロッパ総局長 青坂寛先生
森先生 追憶の記

出逢いは一九七三年の夏。
前々からお互いに知ってはいたが、より友好を深めたのはこの年、ことのおこり は口喧嘩だった。

私はその夏、パリより日本へ帰国し、本山少林寺に寝泊りしていた。
みなが集まり雑談する小さな畳のしいた部屋があった。森先生が云うには近々、沢村を本部につれて来るとの話をしていた。
「沢村」古い人たちは知っていると思う当時のキックボクシングのスターである。日本大学の出身であり、私の二、三年先輩にあたる人である。
私は沢村氏より森先生に興味を持ち、聞き耳をたてていた。この人にあの沢村と何のつながりがあるのだろうかと・・・。いろいろと質問してみた。
そして、ちょっとうるさくなった森先生は「青坂、お前はねほりはほり うるせえな。」と云った。
私も連日の練習と暑さとで疲れていた。カチンときた。云いかえした・・・
「先生、うるせえとはどう言う事ですか、あなたに興味がなければこんな話はしませんよ。」私の若さがそう言わせた。
森先生はにらみつけて来た。そして私もにらみ返した・・・。
仲裁が入った。京都の森川先生だった。
「森先生、青坂先生の話を聞いてやりなさいよ。」森川先生はニコニコと穏やかな顔をして云われた。森先生の顔がいつもの顔にかえった。ニコと笑った。「青坂、俺が悪かった。話してやろう。」そして沢村氏とのいきさつを話してくれた。

森先生はその時の本部での合宿を終わり神戸に帰られる時にわざわざ私の所へよって来てくれた。
「青坂、頑張れよ。そのうち俺もパリに応援にみんなで行ってやるよ。」
私は心だけ戴くつもりで聞いた。当時なにぶんにもフランス パリは遠すぎた。
開祖がヨーロッパに視察の旅に出られた時など何百人の見送りが出た。そんな時代だった。 二年後、おもわぬ連絡が来た。「青坂、お前のところへ行く。」
電話に出た私に遠くで小さくそれでもはっきりとした声がはずんできこえた。

その森先生が他界された。
本部WSKOの平田さんから知らされた。涙がとめどもなくながれた。
心やさしい、しつこいぐらい情のこい人だった。技もならった、特別にかわいがられもした。私の最初のむすめをだっこし、神戸の街を歩き廻ってくれた先生の姿を思い出す。

パリに来たときは当時の私の三畳の部屋にも来てくれた。
刀ひとふり、セビロ一着、クツ ゲタそれぞれ一足、ベッド。そして部屋の前にマキワラ、何もない簡素な生活、気持ちいいくらい何もない生活だった。
金はかなりの額を持って来ていた。ただ、使えばなくなる。それだけの話である。将来事なした暁もこんな生活をしようとは思っていない。
森先生には、こしかける場所もないので私のベッドへすわっていただいた。
私は床にすわって話をした。森先生は泣いてくれた。何を話したか、あまりおぼえていない、ただ涙をポロポロとながしてくれたのを思いだす。
先生は日本へ帰国され弟子たちに話をしたと云う。
「パリで武蔵に逢った」と・・・。
私はそれを聞いてはずかしかった。別に苦しい生活ではなかった、好きでやっている事だったからである。

二〇〇一年のパリでの国際大会は会いに行くと云ってくれた。
「お前と水野に会いに行く」と早くから手をあげてくれた。
本部の合宿でも大勢の拳士へ「青坂の所へ一緒に行こう」といつも云ってくれていたらしい。
そのおかげか、日本からパリへは五百人と云うとんでもない人の大移動となった。大会はスバラシイと絶賛された、しかし森先生は来仏は出来なかった。
膵臓ガン・・・そしてなくなられた。

人は、彼から技を習いましたと云う、しかし私は技より心をならった様な気がする。
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非常に多くの拳士に未だ慕われ続けている、少林寺拳法八段大範士・森先生。
ご逝去された際の、青坂先生のお言葉です。
森先生には、僕は一度、お会いしたことがあります。
小柄な、だけど存在感のある方でした。
この小柄な先生に、地元の大先輩方が列を作って”投げられに”いく、そんな講習会だったと記憶しています。

技も良いけど、男が惚れる大先輩方が大勢いて、頑張れ後輩共!でも強いばっかりじゃ駄目だぞ!と、手を取り、声をかけて下さる、そこに少林寺拳法の大きな魅力があります。

森道基八段大範士・その技と理論


追加で、開祖のエピソードをひとつ。
話者は、高津道院長・佐名木先生(福岡大学少林寺拳法部 初代主将)

競技が進行していくのと同時に、マイクを通した開祖の通る声が会場に響くんです。
「ご覧のお父さんやお母さん方も、みなさんの子どもたちが今ここで競技をやっていて、もし勝った負けたの勝負事をやっているとしたら、ハラハラのしっぱなしでとても平気では見ておれんでしょう」と。
そして、「少林寺拳法は、勝った負けたではないのです。
拳士の顔を見てごらんなさい。お互いが真剣にかつ楽しんで取り組んでいる。
これが大事なんだ。こういう形でやりながら人(柄)ができていくのです。
いい友達にも恵まれることになる」
と、それは、すーっと心にしみ入ってくるようなしゃべり方だったんですね。

それまでの私なんかの感覚では、武道関係の大会や競技となったら、やっぱりやじも飛ぶし、要するに勝ったか負けたかの世界だと思っていたんですよね。
そうではないんだという形を堂々と打ち出して、会場全体の雰囲気が開祖の空気になっているわけですね。

高津道院について

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